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世界各国が協力して恐慌を抑え込むチャンスは、一九三三年六月のロンドン世界経済会議だった。
全世界から六○カ国以上が参加し、RVが「通貨の安定を図り、世界貿易を自由化し、混沌とした現状に代わる秩序を確立しなければならない」と強い勧告を行なったものの、会議はものの見事に失敗してしまう。
新しい為替相場の設定、関税制度の廃止など経済安定化の方策に対して、何の合意も得られなかった。
この失敗が世界恐慌をいっそう深刻化させていくこととなった。
第二次世界大戦が勃発するまで、国際問題を国際協力によって解決しようとする会議は、以後二度と開かれることはなかった。
れ、どの国も国際問題の責任を引き受けようとせず、主要各国はバラバラに行動していた。
イギリスには恐慌克服の音頭を取る実力はすでになく、アメリカには世界経済を救う意志そのものがなかった、とされている。
一例として、欧州中央銀行のことを説明しよう。
ここはヨーロッパの単一通貨「1ユ−ロ」を導入している一六カ国の金融政策を担っている。
物価安定を最重要課題に掲げ、加盟する各国政府からの政治的介入を排除し、独立制を担保して域内の金融政策に絶大な権限を有する。
参加国は、独自の金融政策を事実上放棄していることになる。
従って、各国の中央銀行の役割は自国の銀行管理などにとどまってしまう。
もちろん、ユーロの政策金利は欧州中央銀行で決定される。
制度上はこのようにいろいろと整えられている国際金融機関の機能を十全に活用するには、加盟が自国利益を優先するエゴイズムに陥らないよう、相互に監視しつづけることが大切だろう。
もちろん、現代は当時と違って、国際協調体制が制度上は完備している。
一九三○年代の苦い経験を繰り返さないために、いくつもの国際的な協調機関が存在している。
よく知られているものだけでも、IMF(国際通貨基金)、ガット(関税および貿易に関する一般協定)、OECD(経済協力開発機構)、サミット(先進国首脳会議)、G5やG7(先進国蔵相・中央銀行総裁会議)などがあり、ヨーロッパにはEU(欧州連合)がある。
大恐慌下、各国は伝統的な均衡財政(健全財政)の原則にとらわれ、自国やブロック圏中心の経済ナショナリズムに縛られていた。
一九二九年から三二年にかけて、米国政府の歳入は半減したが、歳出は五割の増加となった。
こうした状況からFV大統領は一九三三会計年度では政府の税収を三五%増加させる必要があると考えた。
この増税はアメリカ史上、最大規模のものだった。
今なら大学の経済学部の学生でもこの政策には首を傾げるだろう。
不況から脱するためには、税金を下げて金融を緩和することが肝要、ということは誰でも知っている。
だが、この時代は、国家の予算は常に歳入と歳出のバランスが保たれていなければならないと信じられていた。
そのころはまだ、伝統的な古典派経済学に代わる、Kz経済学という新しい経済学は出現してしなかった(前述のように、Kzが『雇用・利子および貨幣の一般理論』を発表したのは一九三六年のことだ)・経済政策の王道は「健全財政」「健全金融」の原則を貫くことで、それがなされなければその国の経済政策は失敗の焔印を捺されるしかなかったのだ。
財政赤字をあえて組み、ほとんどの先進国は、従来の伝統的な対処法に依然として信念を持ちつづけ、ありきたりの経済対策で、経験したことのない未曾有のパニックを、乗り切ろうとしたわけだ。
一九二九年から三一年までの各国の恐慌脱出のための国家戦略の大半は、通貨収縮による耐乏政策・緊縮金融財政政策だった。
金と外貨の流出を防ぎ、支出を抑制し、予算を均衡させるために歳入を引き上げる(増税する)というものだった。
公共投資によって景気を刺激する方法に、FV大統領が気づかなかったとしても仕方のないことだった。
他の国の政策も似たようなものだった。
イギリスのMd首相は、一九三○年に予算を均衡させるために四七○○万ポンドの増税をし、ドイツのBG内閣も、フランスのVc内閣も、政策の主眼は予算の均衡にあった。
世界を被っていたものは、一九二○年代のドイツで起こった天井知らずのインフレの悪夢だった。
赤字財政を組んでインフレを招くとああいう事が起きる、ああいう目には遭いたくない、という恐怖は根強いものであったのだ。
すると、どうなったか。
利子が上がったために企業は銀行から金を借りなくなり、税金が引き上げられたために消費が抑制され、公共投資の削減により失業者が増大して、経済危機はますます悪化していったのだ。
後に『史上最悪の立法』と呼ばれることとなったのが、「S・H法」だ。
FVは、国内の高賃金を維持するためには、輸入品から国内産業を守る高率の関税が必要だと確信していた。
SとHという二人の議員が書き上げたそのための法案は、当初の意図よりかなり保護主義の度合の強いもので、一○○○近い輸入品に平均四○%という高率の関税を課そうとするものだった。
多くの経済学者は法案に反対し、アメリカ経済学会(AEA)は一○日間で一○二八名の反対署名を集めるにいたる。
「外国がアメリカに物を売ることができなくなれば、アメリカから物を買ってはくれなくなる」、と反対したのだ。
一九三○年六月にFV大統領がこの法案に署名すると、カナダ、キューバ、メキシコ、フランス、スペイン、オーストラリア、イギリスなどがただちに報復措置に出、各国の関税引き上げ合戦となっていく。
これで世界貿易は一気に縮小し、ヨーロッパは復興への手がかりを完全に失ってしまった。
アメリカへの輸出の門戸を一方的に閉ざされてしまったからだ。
一九三二年の大統領選挙戦で民主党候補のRVは、S・H法を激しく批判した。
「歴史上これほど多くの経済学者が何事かに意見の一致を見出したことはない。
もしも一○○○人のエンジニアが政府が建設中の橋は危険だと指摘したならば、(FVは)そのような警告を無視できただろうか」。
複雑な経済の話も、単純化して考えるとわかりやすい。
こんなたとえ話はどうだろうか。
小さな島があったとしよう。
島民は三人だ。
三人それぞれが仲良く一○円ずつ持っている。
ある日、Aさんが砂浜でピカピカに光るきれいな石を拾った。
BさんとCさんは、Aさんに見せびらかされたその石が欲しくなった。
この島の、平和で均質な生活は、ここで破られてしまう。
BさんはAさんに頼んで、その石を一○円で売ってもらうことにした。
ただの石ころに値がついたのだ。
この時点でAさんの手元には二○円があり、Bさんは一○円の価値を有した石ころを所持し、Cさんは従来どおり一○円の現金を持っている。
つまり、島民の総資産は四○円になった、とみなされることとなる。
Cさんも、どうしても石ころが欲しくなった。
Bさんに対して交渉するが、Bさんは一○円では売りたくないという。
諦めかけたCさんはあるアイデアを思いつく。
「Aさんから金を借りればいいのだ!」。
CさんはAさんから一○円を借りて、手持ちの一○円と合わせて二○円で、Bさんから石ころを買った。
この時点で、島民の資産はどうなっただろう。
Aさんは、一○円の現金に加えて、Cさんに対して一○円の債権がある。
純資産は合計二○円。
Bさんは、Cさんから得た現金二○円があり、純資産二○円。
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